ゆらゆら帝国でお昼寝中…

〜中身は空洞です〜

番外:暦と占いの関係

白川静氏の『甲骨文の世界』とか『金文の世界』とかを眺めていたけど… ホントに眺めてた、って感じなんですよね。
なんかすげーなー… という感想ばかりで、難しすぎて日本語としてはちっともアタマに入ってこない。

で、ひとつだけわかったこと。はるか大昔は「まつりごと」ってのは、つまり卜(ぼく)とか祭祀なんだなーってこと。

甲とか、乙とか、丙とか、丁とか… 毎日に記号のように名前をつけてたってことは、「この日にはこういう儀式をする」とか決めて、それをつつがなく繰り返していくことがきっと最も大事なまつりごとだったんだろうなぁ〜とか想像する。

暦自体は、毎年の農耕作業をつつがなく進めるために必要だっただろうし、為政者にとっては統治のために必要だっただろう。
うーむ。。。 それで、おもしろいことに昔から暦には「暦注」ってのがあって、「暦注」ってのはつまり…

一般に、暦の上段には日付・曜日・二十四節気などの科学的・天文学的な事項や年中行事が書かれ、中段には十二直、下段には選日・二十八宿・九星・暦注下段などの非科学的・迷信的な事項が書かれる。

っことなんですわ。ははは。「非科学的・迷信的な事項」ですよね。確かに。

昔から、暦ってすごく売れるんだそうです。専売制にしたら、暦を発行するところはものすごく儲かる、って。
こないだ読んだ『天地明察』にも、数学が得意な改暦派の面々が、暦の売り上げの試算をしたうえで「幕府発行の暦を売って幕府の収入にすると天文学的な売り上げになる!っていう根拠をもって、偉い人たちを説得しようとする場面がありましたよ。
なるほどねー。やっぱり算数が得意じゃないとそういうことができないよねー。しみじみ。

江戸時代中期には幕府が「やたらと民間で暦を出してはならぬ」「幕府が作った暦に示されている以外の暦注を追加してはならぬ」なーんっておふれをわざわざ出しているんだそうです。
ということは、それだけ私家版の暦や、民間の「迷信」が書かれた暦が売られていた、ということを意味するんでしょうね。

江戸時代中期以降は、安定と低成長の時代。都市の庶民は、それまでの共同体から離れて雑多な職業や社会階級に属するようになっていました。そういう中では、生活の指針になるような「暦注」に頼りたくなる気分というのが広くあったのかもしれません。

で、それはもしかすると、現代の空気にも似ているのかもしれない。
決められたレールに沿った人生なんてまっぴらごめん!とそこから抜け出してみたもの…
自由ってのは結構孤独で厳しかったりもするわけで…
いろんな意味が多様化するってことは、それだけ自分自身の選択や責任も増えるってことで…

現代の社会の空気の中では、江戸時代の人たちが暦注を気にしたみたいに、占いが気になる人が増えるのも道理じゃなかろうかなーという気もします。
どうなるかわからない未来を覗いてみたいってのはもちろん基本にあるだろうし、とりあえず衣食住が満たされていると、「自分」とか「意味」とかそういうことを考えたくなる人は確実にいる。
んなこと、考えずに済むほうが幸せなんじゃなかろうか… と何度思ったことか… でもね、人生後半ではじめてそういうものにぶち当たるような方々にたくさんお目にかかってたら、やっぱり早いうちから少しずつトレーニングしといたほうがいいんじゃなかろうか、という気もする。

で、結局なにが言いたかったかっていうと、非科学的・迷信っていうけどさ、人間の心の中には程度の差はあれそういうものを求めるココロが綿々と流れ続けているのではないかなーと思います。
それはもう紀元前の大昔から、今に至るまでずっと。

そして、そういうものは押さえつけて、見ないようにすればするほど、どこかで暴発したりするのですよ。
そんなことにならないように、適度に、そっちばっかりが肥大しない程度に、うまく使ったらいいよね、そう思っています。


そう思うと、陰陽五行もよくできてるよな〜〜〜!とかやっぱり感動したりします。
すごいよねー。紀元前からあって、いまだに生き残ってきてるんだから。それだけの理由はきっとあると思うのですよ。

占いの世界は本当に魅力的で、占いを勉強することは本当に楽しい。

そして、何度も言うけど、私は単一の教義やドグマを盲目的に信奉することにはものすごく懐疑的。
(あらゆるものを見てまわるけど、決してどこにも属さない。あらゆることを知りたいけど、身を捧げるほど信じることはない。まぁ、なんというか、実に荒涼として何にも生命反応のない砂漠みたいな世界観っすよ、これは。究極の双子サイン的なアグレッシブさってこういう感じなんだよね〜w)

で、ここは私のベンキョーノートなので、あくまでもそういう姿勢でココロも新たにまた明日から書いていくのだ。
というわけで、またあした。