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【第十一夜】十干〜干支紀日法

日々を記述するにあたって、干支(十干+十二支)を用いるやり方は、殷代には行われていたんだそうです。
これが干支紀日法、ですね。(さんざん書いてた「干支紀年法」とは別ですね。それよりずーーーっと昔から行われてたってわけ)


十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)
十二支(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)


10日間をそれぞれ順に十干にあてて循環 ⇒ 60日を60干支(10×12÷2)を配して循環 てことです。
えーと、それでなんで10日なのかって話なんですが… (出典がわからん…)
月の朔望を約30日として、それを三分割したって話が出てたけど、そうなんだろうか?
そのうちまたこれは検証しときます。(コピーだらけでどこになにがあるかわからん…)

***

それにしても、殷っていつだよーーー?!え??? 紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年ってなにそれ???
こういう話を聞くと、中国が威張ってるのも仕方ないかなー…という気にもなるんですよね。
スケールが大きすぎてよくわかんないもの。。。まぁいいや。。。

で、殷の時代ですでに干支はその本来の文字の意味を失って単なる記号として用いられていた、ということです。
ふーーーん。。。 でも記号とするにはなかなか複雑な漢字ですよね。
当時はすでに、一、二、三、四 … の数詞もあったらしいですしね。

十干は、植物の種が芽生えて育って、実になって絶える、という循環を示してる、という説がわりと多く流れています。
(ちょっといま手元に図がないんで、そのうちどっかで出します)

でもこういう説もあるんですね。
白川静氏によれば、殷の時代には五祀という祭りごとがあって、干支順にそれぞれの干支に合わせた意味の祭祀が行われていた、と。
すなわち、十干の名称はそれぞれの祭祀と不可分の意味がある、ということらしいのです。

んーーー。。。 難しいっすね。
またこれは後日なんか思いついたら追記します。