まとめ:木星と暦の関係を簡単にまとめた。
本家ブログで書きました。木星の話はごくごく簡単に縮めてます。
さんざんぐじゃぐじゃ調べたり考えても、要点なんてごくわずかなんだよね。
しかし、こういう作業が好きなのですよ。たのしい。(←まぁ変態ちっくである)
=== 転載開始(後半の木星と暦の話の部分のみ) ===
はるか昔、紀元前の時代から、天文観測によって木星の公転周期が約12年
だということは知られていて、木星は高貴な星として尊ばれていたそうです。
メソポタミアではマルドゥク神、古代ギリシアでは神々の長であるゼウス神
として崇められていました。
古代中国でもそうでした。木星は「歳星(さいせい)」と呼ばれていました。
昔々の暦は、天球を12分割してそれぞれに番地のように名前を付けて、
(十二次と呼ばれます)どの区画に木星が居るかで、年を数えていました。
「歳星紀年法」と呼ばれる古い暦のスタイルです。
そのうち、十二辰(じゅうにしん)という区分が使われるようになりました。
いまでいうところの「十二支」が当てはめられています。
ちなみに、年賀状に描く絵みたいな「十二獣」になったのは便宜上であった
らしいです。もともとは動物とは関係ない番地名みたいなのが十二支です。
東から昇って西に沈む太陽の動きと連動してますね。
一日の時間、一年の季節の推移も十二辰、つまり十二支を当てはめて表現
されるようになってます。
で、この先はさらにマニアックな話です。
実際の木星は、西から東に動いていくので、十二辰と同じ方向(東から西)
に動く架空の星(太歳=たいさい)というのを設定しました。
実際の木星と線対称の位置に「太歳」がいる、と決めまして、例えば「寅」
の位置に太歳が居れば、「今年は寅年」と言うようになったのです。
これが「太歳紀年法」と呼ばれる暦のスタイルです。
すごいねー!よくできてるー! と感動したのですが…なかなか難しい。
木星の公転周期はぴったり12年ではないので、必ず誤差が出てきます。
このあたりでいろいろ問題が起こりました。
で… あるときその誤差の修正をするのをやめて、十二支と十干というの
を組み合わせた「六十干支」というのを使って、これを機械的にどんどん
当てはめていく「干支紀年法」という暦に変わった、んだそうです。
(これがまだまだ紀元前の時期の話だっていうんだから…すごいよね…)
1年はなぜ12ヵ月?とか考えてた〜木星と暦のお話
http://tamayura10.blog123.fc2.com/blog-entry-311.html
=== 転載終わり ===
ほんっとーーーに、手書きするといろんなことが見えてきてものすごくベンキョーになりましたよ。
西洋占星術でハウスは反時計まわりに書くよね。
トランシット見るのに、SGとかソフトでぐるぐる回すと、太陽が12ハウス(東)から昇って7ハウス(西)に沈むよね。
あああーーー 西洋占星術は左側が東、右側が西。当たり前のように思ってたけど、東洋と逆だ!
だから十二次と十二辰の向きは逆なのか!
そういうこととか…なんかほかにもいろいろ考えた。
しかしここに突っ込んでっちゃうと、もう収拾がつかなくなるのが目に見えてるので、
それはもうまたの機会にとっとく。
次回は「十二辰→十二支」の話になる、予定です。。。
だけど予定は未定かな。