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【第二夜】12について〜其の弐

いきなり「木星」の話であります。

木星
太陽系にある惑星の1つで、内側から5番目の公転軌道を周回している第5惑星である。
太陽系惑星の中で大きさ、質量ともに最大のものである。
木星は古代から知られ観測されてきた。そして多くの文明で神話や信仰の対象となった。
英語 Jupiter は古代ローマ神話の神ユーピテルを語源とする。
wiki木星

あーーー。とにかく大きいんですよね。
>質量は地球の 317.833倍で、赤道半径71.492kmで地球の11.209倍
って言われても、ぜんぜんピンと来ないな〜〜〜。。。(そもそもガスの塊みたいな巨大な星の大きさをどうやって計算するんだろう???)

夜、そして太陽が低い時に地上から視認できた木星は古代から知られていた。古代バビロニアでは、木星は神マルドゥクと同一視されていた。彼らは、木星黄道に沿う約12年にわたる周期を用いて、黄道十二星座の各星座を定めていた。
英語のジュピター (Jupiter) は、ギリシア神話のゼウスと同一とみなされるローマ神話の神ユーピテル (ラテン語: Iuppiter, Iūpiter、またはJove) を語源とする。この名はインド・ヨーロッパ祖語における Dyēu-pəter が変化した呼称であり、その意味は「天空の父たる神」("O Father Sky-God") または「日の父たる神」("O Father Day-God") である。英語における木星の形容詞 jovian は、古くは jovial とも書かれ、これは同時に「陽気な、愉快な、幸せな」等の意味を持ち、中世の占星術師から守護惑星の意味として使われた。
wiki木星

西洋占星術では、木星は基本的にはラッキースター。なんといいますか「楽天的であけっぴろげな発展」のことをラッキーと呼ぶなら。
木星の本意は「拡大」なので、悪いほうにでれば「ルーズ」「いいかげん」「怠惰」でもあったりする。ベタには「太った!」とか。
※ 石井ゆかりさんは、木星が巡ってくることを「幸運期」改め「耕耘期」と命名していた。言い得て妙であります。

ちなみに占星術の記号だと、木星を示す記号はこれ。

「神の稲妻を様式化した記号」ってことだそうです。

そういえば、木星=ジュピター=ゼウス神は、なにか罰を加えるときには雷を投げつけるんだった。
で、ゼウスはなんだか神々の長のわりには、えらく人間臭い人で、あっちこっちの美女のお尻を追いかけ回しては妻のヘラに怒られるんだ。
豊かさ、高貴さと同居する、なんだかよくわかんない放縦さ、が木星の象意である、ってのはゼウスのことを考えると納得がいく。

さて。脱線しすぎた。東洋の話に戻ります。
木星の公転周期は11.86年、つまり約12年。これが今回の話のポイントなんであります。

…きたね。12。なんでこう都合良く12があちこちに現れるんだろうね???
音楽知らないけど平均率とかも確か12が関係あるんだったはず。
「12って不思議な数ですね〜♪」って、こんど数学家に聞いてみようっと。(なんたる身分知らずなワタシ…w)

さて。また脱線しすぎた。。。がんばろう。


古代中国では、木星が天空を巡る軌道を12等分して「12次(じ)」と名づけた。
(→これを地上に降ろして当てはめると「12位」になるらしい)

十二次とは
十二次(じゅうにじ)とは、古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの。各次の名称は、星紀(せいき)・玄枵(げんきょう)・娵訾(しゅし)・降婁(こうろう)・大梁(たいりょう)・実沈(じっちん)・鶉首(じゅんしゅ)・鶉火(じゅんか)・鶉尾(じゅんび)・寿星(じゅせい)・大火(たいか)・析木(せきぼく)。戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。
wiki 十二次

12次の話も、深入りしていくとなんだかもの凄くおもしろそうです♪

十二次はバビロニア天文学起源の黄道十二宮とかなりの点で類似しており、伝播による成立の可能性も否定はできない。
十二宮との対応は以下の通り。

星紀 - 磨羯宮(やぎ座)
玄枵 - 宝瓶宮(みずがめ座)
娵訾 - 双魚宮(うお座)
降婁 - 白羊宮(おひつじ座)
大梁 - 金牛宮(おうし座)
実沈 - 双子宮(ふたご座)
鶉首 - 巨蟹宮(かに座)
鶉火 - 獅子宮(しし座)
鶉尾 - 処女宮/室女宮(おとめ座)
寿星 - 天障宮(てんびん座)
大火 - 天蝎宮(さそり座)
析木 - 人馬宮(いて座)
wiki 十二次

あ〜!なんて楽しそうなんだ。だけど、ここだとあまりに煩雑になるのでこれ以上深入りしません。
十二次の話は、また機会があったらどっかで〜。


さて。木星の話の続きです。  

十二次を一年に一次ずつ進み、約十二年で天球を一周する惑星が木星である。これによって木星は「歳星」と呼ばれ、十二次の位置で年を記述するのに利用された。これを歳星紀年法といい、「歳在星紀(歳、星紀に在り)」といったように記録された。これは『春秋左氏伝』や『国語』といった書物に見られる。これが後には子・丑・寅…といった十二辰で年が記述されるようになり、現在まで使われている干支紀年法につながることになる。
wiki 十二次

ん??? わかったようなわかんないような。
「十二次(じゅうにじ)」と「十二辰(じゅうにしん)」てのは別物なの???

十二辰(じゅうにしん)とは、古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって東から西に十二等分したもの。各辰の名称には十二支が当てられ、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)であった。戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。
wiki 十二辰

あーーー。なるほど。実際の木星ではなく、架空の星(「太歳」と呼ばれる)を想定したのね。
木星と対称の位置に存在する太歳と呼ばれる仮想の惑星を想定し、十二辰における太歳の位置で年を記録するようになった。
これは太歳紀年法と呼ばれている、ってわけであります。
(で、そのうち干支暦になるのね〜)

このあとこの暦の話になると、木星の運行から生じる誤差(約86年たつと、太歳の位置は1辰)とかでいろいろもめる。暦の正当性がうんにゃら…で、改暦してどーのこーので…という話は私にはよくわからない。暦の正確性の話もあるんだろうけど、きっと政治的な理由もありそうだ。

というわけで、とりあえずこの話は「一般的にはこのように言われているようだ」というところで止めておきます。
(そもそもwiki引用ばっかりしてる時点で、自力でちゃんと調べる努力を放棄しておるのがモロバレです… ^^;)

個人的な感想としては、正直言って、この辺の詳しいことはよくわからん。
自然の現象をきっちりと誤差無く人工的な「暦」にはめ込もうとするのがそもそも無理なんだな〜という感慨…かな。

次は「陰陽論」です。たぶん。